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SOCIETY:規範の引力、そして“お寺”という磁場 ──現代と近代の「あいだ」で立ち上がる構造たち

見えている社会の風景の奥に、言葉にしきれない構造が流れている。
System Awarenessという手法を通じて、そこに立ち上がるものを見つめた時間の記録です。

現代を生きているつもり。でも、ほんとうに?
「現代を生きていると思ってるけど、近代を引きずっていない?」
そんな問いから、このワークショップは始まりました。

SOCIETY:「自我」と「自己」と二重構造の時代〜2025年という現代

年明けに「2025年を迎えて〜脳内百花繚乱」という記事を書いてからしはらく、書いてみたいことはいろいろあれど、どうにもnoteに収めるには拡散しすぎるきらいがあって、注意欠陥障害な自分を嘆くことしかりだった。

が、落ち着いてちょっと俯瞰的に湧いてくる雑念たちをいろいろ巡り歩いてみると、暮れの友人との酔っ払い対話の中で盛り上がった、

「現代現代っていうけれどまだ人類は近代だよね!」

がやっぱりヒントになるなあと思うようになる。
そこで、その友人とも更なる対話の機会ももらいながら、自分史を中心にこんな思いに至るまでと今について、さらにつらつらと思考探索を重ねてみることにした。

SOCIETY:精神性は「怪しい」?

次は「怪しさ」について書いてみたいなんて言ってから、すでに2年は経って、コロナ騒動もだいぶん様相を変えた。
振り返ればこの間、

<私たちの意識が小さな自我の時代から無意識を含めた自己全体の時代にシフトできないと、いよいよかなりやばいんじゃないのか?>

という問いが、ますます危機感を持って自分に迫る一方、
発信となると、文字通り、「私の書いていることは怪しくて、誰にも理解されないにちがいない」みたいな恐れ、さらには、「下手したら社会に抹殺されるかもしれない」みたいな生存の恐怖に絡む行きすぎた恐れがどこかにあって、

SOCIETY:他人の振り見て?〜ウクライナ/ロシアに思うこと

ウクライナーロシア問題。

組織開発だの人材開発だの言ってるけれど、基本葛藤解決屋なもので、
全体をできるだけ俯瞰して、両サイドの立場を自分ごととして受け止められないと葛藤は終わらないと強く思ってしまう私は、ここ2週間の自分達側のワンサイド情報の日々に気持ちが悪くなっており。

ロシアの中でも今のロシアの行動を支持する側の人たちの声は直接には入ってきていないし、集めたものだって耳だけ情報であまりに不十分なのだけれど、こちら側に身をおきながら親ロの立場の人、こちら側だけどロシアをよく知ってる人、プーチンさんのウクライナ侵攻直前のながーい演説の日本語訳、うっかりこの時期モスクワに滞在してしまったウクライナ、ロシアの血を持つアメリカ人の体験談、などなど頑張ってロシア情報を集めると、そのことを知った友人が送ってくれたりして、ある程度は見えてくるものも出てきた。

そんな中で改めて思うのは、

SOCIETY:コロナ禍の今:これまでとこれからのシステムの狭間で

2020年が明けて、9ヶ月あまり。                    
組織や社会の課題に向き合うことを生業にしている私は、前々から、う〜ん、今の人たちって、頭で考えることに偏りすぎてしまっていて、少なくとも思考・こころ・身体を3つに分断しちゃってるよなあと思いながら世の中を見てきた。

経済資本偏重の社会システムだってそうだ。人が持っている資本て、お金だけじゃなくて、こころでつながる人間関係のシステムとか、生き物として身体がつながっているはずの自然システムだってあるだろう。

民主主義って、本来は誰もが輝けるような国を目指して

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